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て』を発表し、社会教育を生涯学習の観点から再構成する必要性を訴えるなど、社会教育に携わるすべての人々に意識改革が求められていた。
3. 拡張期(昭和50年〜昭和59年)
昭和49年になると高校進学率は90%を越え、カラーTVの普及率も90%を越えた。昭和47年に第一号店がオープンしたアメリカ生まれの大手ファーストフードのチェーン店は、その簡便さやファッション性が青年に受け入れられて急速に店舗を拡大しつつあった。オイルショックによる高度経済成長の終焉によって、便利さや経済効率の追求の中で忘れ去られようとしていた「心」の問題が改めてクローズアップされた頃でもあった。この年の社会教育審議会の建議で『在学青年の社会教育の在り方』が出され、“在学青年”という言い回しが登場したが、この頃から青年の家における在学青年の利用が顕著な伸びを見せるようになってきた。一方では利用者数の減少が依然として続いていたのである。
他方、高度経済成長の歪みの一つとして、子供の直接体験の不足が顕著なものとして話題にあがってきたのもこの頃からである。子供に直接体験を提供する場として「少年自然の家」が構想され、公立少年自然の家4カ所に文部省が昭和45年から補助を開始していった。その業績が顕著であることは衆目の一致するところであった。学制百周年を記念して文部省は国立少年自然の家の創設を決定し、室戸少年自然の家が第一号として昭和50年に設置された。以後、国立少年自然の家は全国に14カ所設けられることとなった。

 

4. 変革・展望期(昭和60年〜平成6年)
平成2〜3年になると高校進学率は95%に達し、18歳人口もピークとなったこともあり、大学入試は空前の「狭き門」となった一方、大学・短大の新設や学部の増設も急速に拡大し、本格的高学歴社会と大学の大衆化をもたらした。また、バブル経済最盛期のこの頃は“より豊かなものを求める”時代となった。生活全般に量より質という考え方が浸透し、産業界も「重厚長大」型から「軽薄短小」型への転換が進んだ。コンビニエンスストアの例を引くまでもなく、多品目少量生産・販売が流通業界の流れとなった。青年は「快適性」「かっこよさ」を積極的に追求し始め、その対極にあるものとして、3Kというあまり愉快ではない言葉がマスコミに登場した。また、「快適性」の追求によって“朝シャン”なる造語が人口に膾炙するまでになった。
豪華さ・快適性・かっこよさに対する青年の要求は顕著で、青年の家は施設・設備面でも規則・規律の面でも青年層から敬遠される要素が目立ち始めた。自家用車の普及率が8割、エアコンも2/3の普及率となったのがこの頃である。
バブル経済の崩壊によっても“豊かさ”への欲求は大きく変化することはなかった。そういう意味では、「豊かになった今、どのように生活していくか」という視点が求められているのではないか。折しも、企業の週休二日制の定着と学校の週5日制(平成4年は第2土曜日のみ。7年からは第2・第4土曜日)への移行によって、休日の過ごし方・活用の仕方が改めて問われるようになっており、平成4年には『休日の拡大等に対応した青少年の学校外活動の充実について』の審議のまとめが調査研究協力者会議によって発表された。この中でも社会教育施設等の充実・活性化は大きくとりあげられており、

 

 

 

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